茶道 お茶の子
茶道 お茶の子 表千家















 茶道具

茶碗

「一井戸、二楽、三唐津」
井戸茶碗(いどちゃわん) とは、高麗茶碗の一種で、高麗茶碗の中で最も珍重されました。
李朝初期の16世紀以来朝鮮で、日用雑器として作られたものが、室町末頃から日本に渡り、千利休の高弟の山上宗二の『山上宗二記』に「一 井戸茶碗 是れ天下一の高麗茶碗 山上宗二見出して、名物二十、関白様に在り」とあるように、見い出されて、抹茶碗に見立てられたものだそうです。
大井戸、小井戸(古井戸)、青井戸、井戸脇などの種類に分類されています。
素地は鉄分の多い赤褐色の土で、形は見込が深い碗形で、やや厚手で、高台は大きく高く、手取りはざんぐりとしています。


井戸茶碗の約束事には、次のようなものがあります。
  1. 石目跡(いしめあと)
  2. ろくろ目
  3. 梅花皮(かいらぎ)
  4. 竹節高台(たけのふしこうだい)
  5. 兜巾(ときん)
 大徳寺孤蓬庵蔵
 「喜左衛門」(国宝)
東京国立博物館蔵
 「有楽
 「筒井筒
(重要文化財)
畠山記念館蔵
 「細川
     
       
 世界文化社 名品茶碗 より
  参考HP http://www15.plala.or.jp/koimari-bi/html/ido_data.html

 楽茶碗 (長次郎7種)
   黒楽、大黒(おおぐろ)東陽坊(とうようぼう)鉢開(はちびらき)
   赤楽 木守(きまもり) 早舟(はやぶね) 臨済(りんざい) 検校(けんぎょう)
 大黒  東陽坊  早舟  木守
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      木守について 
       
 木守 茶碗
利休が、長次郎に焼かせた7つの茶碗を、弟子に好きなものを取らせたところ、赤の茶碗だけが残りました。
利休はひとつ残ったその茶碗に‘木守’と名づけました。
来年もおいしい柿が実るようにと最後の一個だけ残しておく習慣があるが、その柿を木守りと言い、ちなんでつけました。
 後この木守茶碗は長次郎の作った名碗‘長次郎七種’の一つとして、官休庵に伝来しましたが、高松の松平候にその茶碗を献上しました。そして代々の家元襲名茶事の砌、松平候から拝借し、茶事が終了すれば外箱を作り、藩侯にお返しする慣わしになっていました。
 ところが大正8年、官休庵に戻られた9代目の愈好斎家元が、古式にのっとり松平家から‘木守茶碗’を拝借し茶事を終えられたのですが、家元より戻された木守は不幸にも東京のお屋敷の蔵に保管され、大正12年東京を襲った関東大震災の犠牲になってしまったのです。
そこで焼け跡から木守茶碗の一片を見出し、楽焼12代目の弘入と13代目の惺入と二代にわたりその茶碗の一片を埋め込んで‘木守’を再生したのです。

 
天目茶碗
 天目茶碗は鉄質黒釉の茶碗で、宋代に建窯で焼かれたもの。
日本の留学僧が天目山から持ち帰って茶碗にちなんでつけられた名前。
形はやや口が開いて、高台は低くて小さく、口縁はすっぽん口状。 
 
天目茶碗に、曜変天目、油滴天目、玳皮盞天目(たいひさんてんもく)等あるが

いま2017年鑑定団で話題になったのが曜変天目で、国宝が3つであるが4つめが現れたといったところ、いや偽物だ 本物だとかしましい。

2017/4/11~上野国立博物館で国宝などを集めた展覧会が開催され、稲葉天目も出展の予定。
静嘉堂HPリンク


曜変天目国宝 1.静嘉堂 稲葉天目 
          2.藤田美術館 曜変天目
          3.大徳寺龍光院蔵 曜変天目

 国宝 静嘉堂蔵 曜変天目
 天目茶碗は円錐状で高台が小さく、“天目台”に載せて使います。
茶碗の下側を天目台の酸漿(ホオズキ:皿のような部分の上にある丸い膨らみ)に嵌め込むようにセットして載せます。

これが後に、貴人に茶を供する際に茶碗を載せる台も天目台と呼
び、貴人に茶を差し上げる他、神前等へ茶を献じる(献茶、奉茶)際にも用います。


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